細やかで絢爛豪華。気品漂う繊細な色彩。その美しさから、芸術品としても評価が高い西陣織は、京都市街北西の一帯“西陣”で手がけられた先染め織物の総称です。
その歴史を遡れば、古くは養蚕と絹織物の技術が大陸から伝えられた古墳時代であり、1467年の応仁の乱後、離散していた織物職人が再び集結したエリアが戦時中の「西の陣」だった事からその地が“西陣”と呼ばれるようになりました。
そしてそれまで皇族や貴族のために作られていた着物が広く普及し、“西陣織”の誕生といわれています。
西陣の地で受け継ぐ伝統の技術と心
株式会社都は1939(昭和14)年、西陣の地に創業しました。
創業者である倉田義孝は、三重県で着物の修繕や管理全般を営む悉皆屋に生まれ育ち、
当時すでに着物の代表的な産地であった西陣で修行を積みました。
二代目となる倉田義宥が誕生した翌年に独立し創業が叶いましたが、第二次世界大戦による戦禍の中、ほどなく休業に至りました。
終戦後、ふたたび西陣織の芸術的な美しさを広めるため古着物を扱うところから再開。お客様が求めるものを敏感に感じ取りながらモノづくりを行い、「帯の都」として西陣の地で親しまれるようになりました。
故きを温ね新しきを知る伝統の技
現在では、西陣の地でも大変珍しくなった手機。
株式会社都は、自動力織機が主流となった今も熟練の手織り職人を抱え、手織りでしか表現できない繊細なデザインで、上質かつ唯一無二の帯を創ることに情熱を注ぎ続けています。
完成までに多くの工程を経て完成される西陣織は、各工程に専門の職人や業者がおり、それぞれが技術を高め継承してきたことで最高級の織物が創られてきました。
現代では、デジタル技術を使えば簡単にデザインの作成ができてしまいますが、都では昔ながらの方法で、専門の職人である図案家や自社のデザイン室で作る手描きの繊細な柄表現を大切にし、時代のニーズも反映させながら、着物の美しさをより引き立てる帯のデザインを追求しています。
手織り帯の製造と同時に、紋紙を使って織り上げる自動力織機の研究も重ね、1947(昭和22)年には、織物の最高峰・つづれ帯のジャガード化に成功しました。
これを機にオリジナルの絽綴八寸や、はりま綴八寸、続いて1959(昭和35)年頃より紬袋なごや帯を開発。「世の中にないものを創る」という先代の想いを引き継ぎ、様々な柄や地色に挑戦し、ご提案をしたところ広く受け入れられ、紬帯は都の代名詞となりました。
西陣織の裾野を広げる新しい挑戦
西陣織の技術は職人によって継承され、現代まで途切れることなく繋がってきました。
私たちが創業より大切にしている手織りの技術も、これから未来に繋いでいかなくてはなりません。技術を継承すること、文化を伝えること。これは伝統産業に携わる私たちの使命だと考えています。職人よって染められた糸、一本一本が重なり織られた、本物に触れる感動、豊かな文化に触れる心の豊かさも伝えていきたいと考えています。
和装に触れる機会の少ない現代、西陣織の技術、文化を広く知っていただくための新しい試みとして、2011年に西陣織、手織り職人の技巧を間近で見学することができる職住一体の宿「西陣伊佐町 町家」をオープンしました。
西陣の中央に佇む宿は、昭和初期に建てられた町家をリノベーションし、虫籠窓や土間がある伝統的な京町家の造りを生かしながら最高級木材・高野槙のお風呂をはじめ、床暖房設備、広々としたテーブルなどを揃えた、洗練された寛ぎの空間です。
同じ建物内には西陣織の職人が働く手織り工房が併設されており、手機の心地よい音とともに、町家が建ち並び手機の音があちらこちらから聞こえていた西陣の歴史を肌で感じていただけます。
そして、2016年には「紋紙(手織りの図案)」を保管していた自社ビルのフロアを活用し、クリエーターと企業の交流の場、働く場所としてシェアオフィスとコワーキングスペース「385PLACE」を開業しました。
京都の四方を見渡せるワークスペースには西陣織の技術、歴史の感じられるプロダクトが随所に配置され、西陣織の世界への間口となっています。
古来から続く西陣織の歴史に新しい物語を織り込みながら、「都」は西陣の地から発信し続けます。